2006.05.05 横須賀田浦周辺地下施設調査2(横須賀市)



前回、時間がなくて内部調査が不完全になってしまった船越地下工場。規模の大きさに衝撃を受けたナウスラは、気になって5月3日以来寝られない日々が続く(中毒患者なんで)。そして2日後の5月5日、我慢できなくなり突発調査を決行する。いきなりにも関わらず、OKNさんが参加表明。菊水さんも午後から参加を表明。早い時間に京急田浦で待ち合わせ、いざ出陣。



やってきました、船越地下工場。今回は1階部分を隈なく調査する気満々で臨む。OKNさんは船越地下工場は初調査なので、5月3日に壕内で発見できた遺構を案内しながら粛々と内部図作成に取り掛かる。



しかし調査は思わぬ事態に。壕の奥の方は、産業廃棄物の山で通行に困難を極めた。しかも廃棄物の中にファイバー繊維みたいな非常に細いプラスチック製(?)の棒が体中のあちこちにトゲみたいに刺さり、チクチクして痛い。しかも目に見えないほどの細さで抜こうにもうまく抜けない。調査開始20分くらいで早くも戦意はガタ落ち。



さらに奥へ進んでいく。すると壕内に家(廃墟)が建っている。いくら坑内が大きいとはいえ、こんなところに建てなくても・・・。廃墟の残骸が道を阻み、その先の出口にはたどり着けなかったが、自動車が通過する音がひっきりなしに聞こえる。どうやら、国道16号の船越トンネルの南側に来ているようだ。地下工場の西側最深部の位置関係がこれでよくわかった。



初めに入った入口付近まで戻り、今度はOKNさんを2階部分へご案内。階段部分の造りの良さに再度驚く。2階部分を隈なく見て回り、前回タイムアップで行けなかった、さらに上部へ続く階段を行ってみる。ここも、直角にクネクネと曲がる長い階段である。



階段を上りきったところは出口であった。どうやら、山の頂上へ抜ける階段であったようだ。出口付近は崩落が激しいため、外に出るのは断念。それにしてもかなり上った。



上部はこれで踏破出来たので、1階部分へ戻って東側の最深部を目指すが、膝下くらいまで水没している。今回の装備では通ることが出来ないので、残念ながら断念。またもや課題を残す結果となってしまった。悔しいっす・・(>_<)



思ったよりも早く船越地下工場の内部調査が終わってしまい、午後から参加の菊水さんとの待ち合わせまで時間がまだある。なので、菊水さんが以前に教えてくれた実験部の境界石柱と東京湾要塞地帯標を見に行くことに。



海上自衛隊船越庁舎、米軍浦郷倉庫周辺が、かつての実験部が置かれていた場所で、柵沿いに獣道を歩いていくこと15分。「海」と書かれた境界石柱を発見。それにしても、菊水さんはよくここまで単独で来たなぁ。執念の踏査に敬意を表します。



さらに進んでいくと、要塞地帯標がある。風化してかなり見辛くなっているが、「東京湾要塞第壱區地帯標」と掘られている。前から気になっていたのだが、「IZ」「EZ」は何を表す表記なのか?知っている方、教えてくださいm(__)m



菊水さんとの待ち合わせまで1時間近くあったので、京急田浦駅周辺のラーメン屋で昼食を取る。その後、無事に菊水さんと合流して横須賀線田浦駅方面へと歩く。今度のターゲットは、比与宇地下壕の北側。ナウスラは、以前(8年前)に黒魔さんと内部調査をしたことがあるので、場所は把握していたが記録調査はきちんと行えていなかった。菊水さん、OKNさんも初めてということもあり、内部記録調査をすることにした。



8年前に来た時は、道路側に入り口がポッカリと口をあけていたが、封鎖されていた。裏側にまわり込み、他の入り口を探す。薮漕ぎ1分、ありましたよ入り口が(^.^) 高さ、幅ともに大きく4メートルはあるだろうか。早速、内部へGO!



内部は以前調査時とあまり変わっていなかった。碁盤の目状に坑が交差しており、電線を引き込んだ跡や当時使用していたと思われる精密機械油のビンが落ちていた。錨のマークが瓶に刻まれているので、海軍で使用していたことは間違いない。(後に教導さんに確認したところ、航空計器潤滑油であることが判明した)



写真、内部図を粛々と記録していくうちに、壁面に文字の彫りこみを発見!これは気がつかなかった!!おそらく、この地下壕の掘削に携わった人の名前が彫られているのだろう。これはすごい!「武井・島田・笹本・坂本」とはっきり読み取ることが出来る。



この後は比与宇火薬庫の外観を見て、引込み線を歩きながら横須賀線の田浦駅に帰還。しかし調査時間はまだ残っている。さて、どうするか。すると菊水さんが、横須賀線の横須賀駅手前のトンネル横の総監部山に陣地があると進言。田浦からもそう遠くないということで、早速横須賀線に乗って横須賀駅まで移動。



横須賀駅から歩くこと10分、第二臨海公園下をくぐる横須賀線のトンネル手前に草に埋もれた壕を発見。早速、内部調査の準備を整える。



内部は以外に大きく、高さ2.5メートル、幅2メートルの坑道がまっすぐに延び、部屋のような空間がある。また、貯水槽と思われるコンクリート製の構造物があり、きれいな水が溜まっていた。棲息部として使われていたのだろうか。奥へ進んでいくと、坑道の一部が全面コンクリートで補強されていた。本当は坑道全てを全面コンクリートにしたかったのだろうな。



さらに奥へ進むと木で厳重に封鎖されている。おそらく、海上自衛隊総監部側に貫通していると思われる。この先が気になるが、行けないのでは仕方がない。悔しいが引き返す。資料がないので推測でしか言えないのだが、この付近は海軍第一高射機銃大隊の守備管轄であったことから、この壕も海軍第一高射機銃大隊で使用された壕ではないかと思われる。



ここで、今日の調査はタイムアップ。この後京浜急行の汐入駅まで歩き、それぞれ帰途についた。

戦果も上々、非常に有意義な時間を過ごせた。船越地下工場の踏破はもう少し時間がかかりそうだ。まだ内部調査が出来ていない、横須賀海軍工廠田浦地下工場とセットで再調査を企画したい。

【終】



 









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