2007.04.07 茅ヶ崎市内の地下施設調査(神奈川県茅ヶ崎市)



今日は、誉さんが地道に調査してきた茅ヶ崎の地下壕を案内してくれるというのだ。待ち合わせ場所は香川駅。
といっても四国ではなく、相模線の香川だ。

途中、NWSRA隊長からメールが入る。なんでも徹夜作業だった上に、未だに拘束されていて参加できないらしい。同時にtrypodさんが参加不能になったとの情報も知る。



参加者は誉さん・教導さん・nkgk1017さん・OKNの4名。

まずは熊澤酒造隣にある民家の裏山に開いた壕を外観だけ見学。ちなみに熊澤酒造では敷地内にある防空壕を純米酒の醸造に利用している。



ゴルフ場スリーハンドレッドCC脇の雑木林の中に、陣地跡があるとのことで徒歩で移動。かなり埋まってしまっていて中の様子もよくわからない。

と、誉さんと教導さんはやおらザックをおろしたかと思うと、中からシャベルを取り出した。 この2人準備万端っていうかやる気満々だ!

あぁ、今日もハードな1日になりそうだ。



入口をある程度広げると、教導さんが腹這いになって頭を突っ込む。

やはり、かなり土砂が堆積しており、簡単にはいかないようなので発掘を諦めた。

あぁよかった。(ヲイ!)



次に訪れたのは浄見寺そばにある監視壕。

小高い丘の崖下に、ぽっかりと開く 開口部。中に入ると階段があり、丘の上に抜けていた。丘の上から眼前にある 大岡越前通りの往来を監視するためと思われる。



さらなる開口部を探して崖沿いの道を奥へ進むと、高い位置に別の開口部があって、これは下へ向かって 階段になっていた。

誉さんと教導さんが確認したところ、最初の壕とつながって いたとのこと。

この辺りは産廃の最終処分場となっており、他に遺構はあまり 残っていないようである。



オマケ物件の水道トンネルを見る。

戦後に造られたもので戦争遺跡ではない。

ここからさらに、民家の裏手へ潜入。私設防空壕を確認。

ちょっと休憩して本日のメインディッシュである小出地下壕へと歩き出す。



この付近には多数の地下壕があったようなのだが、昭和末期に文教大学の湘南校舎が 造成された際に失われてしまっているそうだ。

まずは外側から出入り口を確認する。4つほど確認できたが、そのほとんどは 埋まりかかかっている。



内部は洞窟陣地の様相で通路はとても狭い。崖と平行に主坑が東西に延びていたが、 東側は水没していたことからそちらは後回しにして西側から調査していく。

棲息部は掘り込みが荒く、崩落も見受けられるが、通路に関しては丁寧に掘られている。



西側最深部は、含水率の高い粘土層に掘られていて、壁面はシャベルで切ったような 跡が見られる。

地表からかなり浅い場所に位置しているようで、天井から木の根っこ が垂れているのがいたるところで見られた。



地表への抜け穴階段も2つ確認することができた。

片方は埋まってしまっていたが、 もう片方は抜けている。



水没箇所は誉さんと教導さんが崩落した岩塊で足場を作ってくれた。

先ほどの穴掘りといい、今回の架橋といいこの2人はまるで工兵である。

東側にも出口が2箇所確認できた。一方は外からコンクリを流し込まれて いるので、恐らく地上にある携帯アンテナ施設を造った時に塞いだのだろう。



近場に食事処がないので、コンビニで食料を買い込み、大学のバス停ベンチに座り 済ませる。

午後の部のトップは小出の地下壕。
この壕の使途は不明である。 雰囲気は長谷の地下壕に似てるかな。道路脇にぽっかり穴が開いている。 入口から緩やかな昇り勾配がついていて、水が流れた跡がある。



なぜかこれ以降、カメラがマクロモードに切り替わってしまっており、 まともな写真がない。

この壕はとにかくゲジが凄かった。



誉さんが、事前調査の際に畑で作業していたオバちゃんにヒアリングしたところ、そのオバちゃんの家の裏山に入口があり山の反対側まで100mぐらいの壕が数本あるとの情報を得たらしい。 見せてくれるように頼んだがはぐらかされてしまったとのこと。残念!



最後に岡田地区にある地下工場の跡を見ることに。

土嚢で塞がれた穴がいくつかあったが何れもやぐらのようだった。

予想していたことだが、特に成果はなし。これで今回の調査メニューは全て こなした。



寒川駅まで歩き、コンビニで買ったビール片手に駅のホームで乾杯して 本日の調査は終了。

誉さんありがとうございました!

【終】



 









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